ライブドアPJニュースは自費出版ジャーナリズムという新商売。

ライブドアパブリックジャーナリストニュースについては、前回のトピックもあわせてどうぞ。


ライブドアのパブジャーの仕組みをちょっと簡単に表現してみます。
PJ(パブリックジャーナリスト)を個人、ライブドアを企業と置き換える。

企業(場所を提供)
↑↓
個人(ネタとお金を提供)

ここまで単純化してしまうと、一見、ブログサービスでの

はてな」あるいはニフティ
↑↓
個人ブロガー

という関係とよく似ているように見えます。
ただ「場所を提供」という部分についてはブログ(あるいは日記)はだだっ広い場所の一区画を分譲するようなもので、そこが一等地であるとかそうでないという条件はありません。余計に「地代」をおさめたらアクセスアップ、ということはない。
つまりブログとライブドアのパブジャーの仕組みの違いというのは「特別な場所を提供するかどうか」というところにあります。ライブドアが提供する場所がほんとうに「一等地」かどうかは、前回述べただけではなくほかにも疑問がありますが、それは後述します。

自費出版ビジネスとしてのPJニュース

さて、この仕組みはどこかで見たことがあります。

出版社(本を提供)
↑↓
個人(原稿とお金を提供)

そう、自費出版本を出す会社」と「自費出版するひと」の関係と同じなのです。
このあたりの仕組みについては「絵文録ことのは」さんの
「自費出版商法」と「本を出したい人」
に詳しいのですが、このなかにライブドアのパブジャーに当てはまる記述があるので、ちょっと引用・改変させていただくと
→引用

だが、自費出版で本を出しても、それで飯を食えるわけではない。むしろ、「本を出した」という満足感を得られるだけなのだ(それだけでいいという人は問題ない)。

ライブドアパブジャーの場合。

だが、ライブドアPJニュース記事を書いても、それで飯を食えるわけではない。むしろ、「記事を出した」という満足感を得られるだけなのだ(それだけでいいという人は問題ない)。

→もうひとつ引用

繰り返すが、自費出版系出版社にとって、客は読者ではない、本を出したい著者自身なのだ。

ライブドアパブジャーの場合。

繰り返すが、ライブドアにとって、客は読者ではない、記事を出したいPJ自身なのだ。

この仕組みに当てはめてみると、結局PJニュースとはライブドア自費出版ビジネスなのだ、ということがよくわかると思います。
自費出版をしてもほかの出版社には作家として認めてもらえないのと同様、PJ研修会というものを受けてPJニュースの記者となってもほかの報道機関からは記者と認めてもらえません。前回も書いたように「記事が出せればいい」というふうに見えるPJのひとたちというのは、どこか「本が出せればいい」というふうに見える自費出版本を出すひとたちを思わせます。「実よりも名を取る」タイプというと言い過ぎかもしれませんが、実際には実も名もとれません。
この流れからすると、いずれはライブドアがPJニュースのテコ入れ策として「パブリックジャーナリスト大賞」とか作りそうな気もします。このままの記事のレベルだと、どちらかというと「パブリックジャーナリスト大将」になりそうな気もしますが、それはそれでカッコイイのかもしれません*1

PJニュースは記事を出す場所としてほんとうに一等地なのか

バファリンセファドールをぼりぼりかじりながら*2PJニュースを読んでいると、
「PJニュースという仕組みを作ったほりえもんライブドアはエライ」
といった提灯記事みたいな記述をよく見かけるのですが、PJニュースを作ったライブドアはほんとにエライのでしょうか。
ちょっと目先を変えて、たとえば
「なぜ朝日や読売といった大手新聞社・通信社が似たようなことをやらないのか」
を考えてみます。
これらの報道機関がもっとも失いたくないもののひとつに「社会的信頼*3」があると思いますが、PJニュースのような素人記者を使った場合、ライブドアのやり方だと記事全体の信頼性を損なう怖れがあります。それは怖い。
ではどうすればいいかというと、しろうと記者の記事の水準をあげればいいわけです。
そのための方法としては

  • 数千人単位の記者からの投稿を受けつけて、デスクが厳選する
  • 時間とお金をかけて記者を育てる

このどちらかぐらいしかなさそうですが、前者は日々の業務としてもデスクの負担が大きく、また後者だと自社で育てるのとあまり差がなく、どちらも現実的な選択肢とはなりえないでしょう。
ではライブドアがなぜPJニュースのようなことができたかというと、べつにライブドアが「革新的」企業であったり「古いメディアの体制を壊す」強い意志があったりするわけではなく、まして「しろうと記者の記事の水準をあげる画期的な研修方法を開発した」わけでもなく、

からにすぎず、もともとない信頼がPJによって損なわれることもないからなのです。世の常として冒険するのは身軽な若者、ということでしょう。
ということは、「ライブドアニュース自体のビューは少ないのではないか」という前回のトピックで引用した記述についてもうなずける気がします。ライブドアにとってライブドアニュースはまだあまり大事にしなくてもいいブランドなのでしょう。もしそうであれば、PJニュースが一等地であるかどうかは微妙と言えそうです。
ただし、ライブドア側がライブドアニュースが「一等地である」と宣伝しているかどうかはわからないので、PJのほうで勝手にそう思いこんでいる可能性はあります。

ほんまにデスクはおるんかいな。

たとえば
オープンソースと市民社会形成 - livedoor ニュース
なんていう、PJニュースの見出しにしてはめずらしく刺激的なタイトルのものを読んでみると、オープンソースについてこのような記述があります。

小飼氏は番組で、オープンソースを説明しようと試みたが、スタジオのテレビ局関係者の無理解のためか阻まれた。彼はオープンソースに関する有効な議論ができないことを残念がった。オープンソースとは、ソフトウェアの設計図にあたるソースコードを、インターネットなどを通じて無償で公開し、誰でもそのソフトウェアの改良、再配布が行なえるようにすること。また、そのようなソフトウェアを指す。

「ソフトウェアの設計図」という表現をどこかで見たな、と思ってちょっと検索すると、以下のサイトの記述をまんまコピペしてることがわかります。

ソフトウェアの設計図にあたるソースコードを、インターネットなどを通じて無償で公開し、誰でもそのソフトウェアの改良、再配布が行なえるようにすること。また、そのようなソフトウェア。

引用元ぐらい書いておいたほうがいいと思いますが、報道には必要ないということなのかもしれません。マスコミのことはよくわかりません。というか、まんまコピペというあたりで「ほんとにオープンソースについて理解してるの?」という印象を受けてしまいます。
記事の内容はあいかわらず大上段に構えすぎという感じです。いつもいきなり社会全体の話になります。もうすこし日常生活とか身近で具体的な社会問題とか、そのへんを掘りさげたりはしないのでしょうか。

*1:わたしはいりません。

*2:ほんとうに薬を飲んでいるわけではありません。たんなる「黒い文章表現」の一種です。

*3:まぁ「企業イメージ」とか「ブランド」でもいいわけですが。というレベルの単語と理解してください。