消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。

ブロゴスフィアみたいなものって案外大事なのかもしれない」的話です。


こちらで漫才の話が出ているんですが。
F's Garage @fshin2000 :消費されないブログ記事を書こう

TVで漫才が消費されるのは情報の再利用性が低いからだ。

このあたりをネタに(内容にはおおむね同意なので)。


これって

  • 消費される漫才 ⇔ 消費する仕組みとしてのテレビ ⇔ 消費する視聴者

という関係があってのことで、それぞれの力関係があるから*1、漫才がどうこうという話ではないように見えます*2

これは本来は左側の形が理想なのですが、テレビで売れると忙しくなって右のほうの形になってくる。
こうなるとなにがマズイかというと、評価する軸がひとつ、つまりテレビしかないということで、忙しさも相まってどんどん芸が単調になり、消費されやすいものへと変質していく。つまり漫才がそもそも消費されるものだからではなく、消費の仕組みだけに取りこまれているから消費されやすくなっている*3


これをブログにもっていくと

  • 消費されるエントリ→消費する仕組みとしてのブログ→消費する読み手

という形があるわけですが(↓図の上側)、これだとテレビと似たような「エントリを消費する仕組みに取りこまれて消費されやすいエントリを書く」傾向へとハマっていきかねない。

ここで読み手もまた書き手となって「ただ消費するだけではないエントリ」を書く、ということで、より相互の活性化が起こせる仕組みがブログにはある(図の上と下)。


というか起こせる仕組みもあるし起きているのだけれど、そこんとこをもっと意識的にやっていくことで(切込隊長が書いてたみたいな)ブログ寿命問題を回避することはいくらか可能なのではないか、というのが今回の主旨。ブログが「消費されるエントリ」というサイクルのなかに入ってしまうと、(お笑い芸人のように)どんどん消耗していって自分のブログ寿命を短くしかねないのではないか、ということです。
で、たぶん大事なのは図の上下にあるサイクルの、右上当たり。継続して話題を練っていくことのできるブロゴスフィア、あるいは「書き手としての読み手」らへんではないかと。


一日二日で反応しなければならないほど急ぐ話題なんて滅多にない

ここでわかりやすく
「具体的になにが言いたいのさ……」
という問いに答えるとしたら、
「あんま瞬発力みたいなのは鍛えずに、じっくりエントリを煮こむような方向で書くほうがお互いにとっていいんじゃないの?」
ということでしょうか。
以下、脊髄をちょっと遮断するのためのリスト。

  • 自分への「1日最低1エントリ」みたいな、形だけの足枷(義務)を外す
  • 脊髄反射したくなったら、サブダイアリなどにいったん短く書く
    • もうすこし周辺の話題を追い、そのあとでエントリを仕上げる
    • 料理と同じで、なんでも新鮮なうちに出せばいいというものではない。というかそこでは差別化しにくい。そして簡単に書く=競争相手が多い→似たようなエントリに埋もれてしまう→すぐに消費される→反応がない→消耗するブロガー→徒労感からさらに脊髄反射なエントリという悪循環に
  • 自分に対して「(ほかのひとに)意味があるかないか」を問うより、「自分に意味のあることを自分のためにていねいに書く」ことを問う
  • 「書くネタがない」ということは書かない→ますます書くネタがなくなるから

なんというか、エコサイクルみたいなもんで、いいエントリがあればそこから栄養を吸収してさらにいいエントリが書ける……という循環になるんじゃないか、みたいな話です(なので上記のリストはこんなのもあるよ、ぐらいのものと思ってください)。
で、「消費されるだけではないエントリ」を書くことでどうなるかというと、そこから他者のエントリを尊重するブロゴスフィアが生じていくのではないかと。そしてそのなかでこそブロガーは「長生き」できるのではないか。


大事なのは「書き手になること」

脊髄反射でなにか書く」というのはしょせん読み手の態度にすぎません。そういうものはだれにでも書けるので、ただエントリを消費しているのと同様です。消費しているだけでは消費される存在にしかなれません*4
そしてそういう書き方ではブログの寿命を損ねるのではないでしょうか。


「だからさー、もっと簡単なイラストにしてくれよ」というひとへのおまけ


[おまけブログ]

*1:というふうに見えるけれども、実際にはまんなかのテレビの部分が一番消費方向へとバイアスかけてるんじゃないかとも思うけど。

*2:再利用されないのはテレビメディア全般の話で、たぶんそれは今までYoutubeのようなものがなかったから。

*3:実際、何十年も同じ芸風できちんと芸をやっている漫才師はいるわけだし。

*4:それが重要であるかどうかはここでは問題にしません。個々人の考え方でしょうから。