「メディアによる時間の奪い合い」という思いこみをやめ、「場所」という観点からも考えてみよう

この手の話題でいつも疑問に感じるのが、

  • 新しいメディアがテレビなど既存メディアの時間を奪う

かのような考え方。
たとえば携帯がゲームの時間を奪う、PCがテレビの時間を奪う、などなど。
http://blog.japan.cnet.com/nakajima/archives/003268.html

この二つの資料からだけでも、はっきりとした「若い人たちテレビ離れ」のトレンドは見て取れる。つまり、テレビを見たり据え置き型のゲームマシンでゲームをするよりも、mixiで友達とのコミュニケーションを楽しんだり、YouTubeで話題になっているテレビ番組の面白い場面だけをつまみ食いする方がずっと楽しいと感じている人たちが増え続けているのである。

(強調は引用者)
上記の記事はかなり強引にそういった方向に話を持って行こうとしていますが、まず資料とされている調査結果「国民生活時間調査報告書(PDF)」を見てみましょう(もうひとつはネットユーザーのみを対象とした調査なので省略)。
ただし10代男女については

  • 2002年の完全学校週5日制の影響により生活時間の変動が大きい
  • 購買力のない年齢層がほとんど

なので、割愛。で、「若い人たち」としては二十代男女についてだけ見てみました。

国民生活時間調査報告書からわかったこと

以下のふたつ。

  • 二十代男性が日曜日にテレビを見る時間は顕著に減った(10年前と比べマイナス63分*1
  • 二十代男性が日曜日にPCに使う時間は51分*2

結論→二十代男性は日曜日にテレビをあまり見なくなった(かわりにPCを使っているのかもしれない)。
データからわかるのはたったこれだけなのです。
はっきりとしたトレンド」はなにも見て取れません。
平日についてはごくわずか(10年間で7分)しか減っていませんし、そもそも平日のPCの使用時間は30分程度なので、テレビの平日視聴時間(2時間11分)に比べるとぜんぜんたいしたことありません*3。平日のPC使用時間はテレビ視聴時間から割いてきただけじゃ足りないですね。しかも平日は日曜日の5倍あります。
ちなみに二十代女性の、日曜日のテレビ視聴時間もかなり減っていますが(10年間でマイナス37分*4、以下全て10年間の推移)、睡眠時間がプラス17分*5、食事時間がプラス9分*6なので、その影響によるのでしょう*7。実際、出かける時間も減っている(マイナス32分*8)ようなので、日曜日の若い女性は今後、ますますゴロゴロし、バクバク食べるようになること間違いありません
上記のように、データなんて読みようでいくらでも恣意的に伝え直すことができるわけです。
で、生活時間ていうのはわりとフレキシブルなものですが、生活時間そのものはじつはそのひとが「どこにいるか」によってかなり左右されるのではないか、というのが今回の話です。
個人とメディアのつき合いというのは、時間だけではなく、場所によって左右されることも多いのではないでしょうか。たとえばiPodの都市部と非都市部での所有率・ノートPCの携行率の差などは、場所の問題として捉えることができます。

家にリビングルームがある限り、テレビはなくならない

では場所の観点から「携帯電話がなぜ生活に入りこんだか」を考えてみます。
理由は便利だったから?
たしかに。
ではなぜ便利だったのか?
それは

  • ひとは電話がない場所にいることがあるから

電話があるところ、つまり家にずっといて生活しているひとには携帯は必要ない。しかし電話がない場所にいなければならない場合、携帯電話が必要。だから受け入れられた。
ではここで同じような考え方で、

ということを考えてみます。
家のなかでリビングというのは家族が時間や話題を共有するための場所です。家族構成といってもいろいろあるでしょうけど、そのなかでテレビが果たす役割と特徴というのが

  • 複数人数で共有しやすい
  • 日常的に「ながら利用」ができる
  • どうでもいい話題を垂れ流しで提供する

という、この3点。もちろんこれは「テレビはリビングに必須だ」ということを意味するわけではなく、「これらの役割がリビングに必要だ」という意味ですが、これを代替するものはまだありません。なので、共有スペースとしてのリビングがなくならない限り、テレビはなくならないでしょう。ユーザーにほぼ常時、能動的であることを要求するPCにこれらの能力はいまだにありません。

またここから考えると、DSが売れた原因のひとつは携帯性そのものよりも「テレビとの競合がない」という側面も大きいのではないかと思えます。
ちなみに「テレビいらない」というひとの多くはおそらく独身者(もしくは独身者的生活者)であり、彼らにはそもそもリビングがない(家族がいない)だろうということを考慮すべきです。つまり「場所」という点から考えると、一概に「若い人たち」といっても二種類あるということです。そしてリビングのない彼らに必要なのは個としてのツール、PCや携帯なのです。

PCがツールとして特殊なものになっていく可能性

ここでまた場所について考えます。PCを

  • 「コミュニティという場所」への接続手段

として考えると、日頃コミュニティへの接続が少ないひとは接続手段としてPC(携帯でもかまいませんが)を必要とするのではないかと思えてきます。つまり日常生活のなかに「コミュニティの場」への接続がない、そういう場に接していないひとほどPCを必要とするのではないか。
そういう意味で、PCはそのなかに「コミュニティという場所」へと接続できるものを強力に内包しない限りは、いずれ携帯電話の脅威に直面することでしょう。
え、PCじゃないと長文書けない? 絵が描けない?
ええ、それは確かにそうです。でもよく言われるように、PCで長文書いたり変なイラスト描いてるようなひと*9はごくごくわずかなのです。
近い将来の、携帯の高速化と大画面化によってそうでないひとたちがPCをやめて携帯でブログ書いたりネット見るようになったら、たいていのひとにとってPCは会社で使うだけのものになるかもしれません。すでにデジタルカメラ+プリンタ市場ではPCレスが進みつつあることも、これに拍車をかけるはず。やがてPCは日曜大工の道具のような「趣味性の高い実用品」といったポジションへとシフトし(リビングから追放され)、以前のように「かなり好きなひとしか持ってない」状態になる、というのはすでにひとつの道としてかなり「ありうる話」でしょう。

*1:国民生活時間調査報告書(以下同)図表1 テレビの行為者率と時間量

*2:図表27 インターネットの行為者率と時間量

*3:図表1 テレビの行為者率と時間量

*4:同じく図表1

*5:図表53 睡眠時間

*6:図表59 食事時間

*7:ここは冗談ですからね。

*8:図表25 行楽・散策の行為者率と時間量

*9:クリリン