はてなの歴史

カノッサの屈辱」ふうに。

はてなID革命と大はてな共栄圏

当時のはてな*1では人力警察*2がidによって国民を管理していました。
そこでは、ひとびとが疑問を持ったときにその答えを知っているひとびとを集め、ポイントと呼ばれる通貨をやりとりさせることで経済を成り立たせていました。これをひとびとは質問知(通称「植民地」)経済と呼んでいました。


しかしこのやり方では国家の発展にも先が見えてきたため、国民のあいだではID革命によって植民地を増やし、はてな共栄圏を実現しようという主張が強まってきました。

[豆知識]ファッション

当時の若者はシャツの裾をたくしこむidルックで渋谷(の鉢山)を闊歩していたと言われています。

[アイディールックの代表的な例]

大陸侵攻

2003年、はてな大アリーア人の手を借りて、隣接するダイァリ区(通称「大陸」)への進出を図ります。
比較的早い時期だったため、当初はライバルも少なく、「一年でケリがつく」とまで言われていました。


しかしかつて連合乾杯司令長官山本一郎九が「最初の一年半ならがんばれる」と予言したようにはてな大アリーア・大和武ログ尊連合は、諸外国列強が参入することによりしだいに行き詰まりの様相を呈してきます。

住登法(2004年末)

この頃、世相を反映してか、国内では治安の悪化が一部で叫ばれるようになりました。心ない市民による破壊活動を防止するために銃器等の取締を厳しくする、いわゆる住登法案が提出されたのも、この時期です。
ところがこの法律に反対する国民によって国会周辺は大規模な集会・デモが相次ぎ、結局、近藤内閣は住登法の撤回を発表します。
これに嫌気が差した近藤内閣は
爾後、はてな国民を相手にせず
と宣言。大陸での戦線は膠着状態に陥ります。
しかし政府は大陸を見放したわけではなく、少しずつ物資を送りつづけていました。そのささやかな物資を大陸のひとびとは「はてな気泡」と呼んでいました。

[豆知識]女優ジェニー・アガターの流行

このころ、大陸では女優ジェニー・アガター*3(愛称「銭形」)がちょっとしたブームとなり、各地で投げ銭がさかんに行われました。

南への快進撃と停滞(2004〜05年)

2004年になると、南方進出作戦(通称「南出南出作戦」)が発動されます。
列強の手薄なところを突いてグルピン*4、リングネシア*5、その首都ジャカウンタ*6、マップアニューギニア*7、さらには「ニューカルボナラ、大盛りで!」のスローガンの下、フォトライフジー*8、アイデアン海峡*9などにまでまたたく間に進出を果たします。

しかしこれが災いして、無駄に補給線をのばしてしまい、本国に貢献するどころか各地が孤立無援の状態に。
グルピンの首都マニアにははてな大好き愛国者が多数移住しハテナニアン宮殿まで建築しますが、早々に援助が途絶え、ジャカウンタ、マップアニューギニアも同様。米田(ベータ)開拓者とは名ばかり、米の補給すら途絶える始末。アイデアン海峡にはポイント不正海賊が渉猟し、内閣はいずれ海峡封鎖することをほのめかし、風光明媚なはずのフォトライフジーはまたたく間に怪しい写真(看板)で埋めつくされ、荒廃していきます。
screenshot
[当時の米田開拓者による、たそがれた港の写真]


一方、内閣の暗黒面を担当するベイダー卿の指導により発令されたブクマレーシア半島*10侵攻は、本国に大量の資源をもたらしたと言われています。同時にコレハヒドーイ要塞の激戦なども伝えられ、地元ムーダンの現住マナー人との軋轢も問題になりました。


ブクマレーシア半島の情勢に気をよくした政府は、北方ではカムリコタンアイヌ語で「女性のいるところ」)、南では甘味(あまみ)諸島寄与辺論(きよへろん)島において国策放送や宣伝活動を行い、大はてな共栄圏の繁栄を国民に印象づけました。

経済改革の挫折

このころ政府はグラフノスチ*11と呼ばれる国内改革に着手しますが、時すでに遅く、焼け石に水
ハテラボラボラ島*12では犬会話*13やマンガ*14、音楽*15が一時的に大流行するなど、催眠兵器の研究と実験も行われていましたが、戦局を打開する決定打とはなりませんでした。

アカ狩りとインク

2006年頃から、大陸ではidではなく「増田」姓を名乗る国民*16が急増、一部では口癖などからアカウントを割り出そうとする試みが行われ、妙にぎすぎすした空気が流れたりしました。これが後に「アカ狩り」と呼ばれる現象です。


この年の7月、大陸での局面打開のために近藤首相はグーグリンゴ合衆国へ渡るHatena Inc.を設立、突然グローバルにインクを売り始め、全国民を驚愕させました。

[合衆国で颯爽とインクを売り歩く近藤首相(後ろのベンツにはしなもん陛下)]

id楽土の建設

やがて国民の一部はidの束縛から逃れるため大陸へと渡りはじめ、そこでid楽土の理想にもとづいた新たな国家を建設しました。それが満州里芋(マンチュウリィモ)国*17です。

はてなのわかりにくいインターフェイスラム原理主義についていけなかった国民も、満州里芋国の理想にはもろ手を挙げて歓迎の態度を示しました。その開墾しにくく著作物の育ちにくい土地と、背後に控えるチョ連の影には気づかぬまま……。


一方、植民政策のさきがけとなった極北の地、2002年に移民が行われたアンテナノフスカヤ開拓村*18では本土からの輸送も滞りがちであり、ときには3日間も停電することがあるという。彼らの一部からは「もしかしてわしらははて難民じゃあるまいか……」という声が上がっていた。

[開拓村の青年RSS団のひとびと]


彼ら海外の「はて難民」が満芋開拓団とともに大挙して他国へ流入し、そこでも「はてなid臭がするぜ!」と追い立てられ、しまいにはネット海を漂いつつさまざまな集団ブクマ行為を働くようになり、悪名高い「暴徒ピープル」として歴史に名を刻むのは、まだしばらく先のお話です。

資料など

画像はこちらのものを利用させていただきました。
自由に使えるナオヤ素材 - 別冊はてな話 - betaグループ
はてなセリフ サービス終了のお知らせ
参考資料
秘密結社はてな

なお

一部内容については確認がとれなかったもの、あいまいな記憶にもとづいたものもあるので、情報の確認などはお読みになった方々の自力でお願いします。


また内容等についての苦情は、体質的に一切受けつけません。


[長いね][↓これもね]