匿名実名論争をムダにしないためにも小倉先生にお願いしたいこと

わたしは積極的に参加していないものの、さまざまな議論が出てなかなか興味深いものがあります。
今のところかなりかみ合っていない部分もありますが。

「実名化」は現実的な話なのだろうか

どうもあまり具体的な話が見えてこないのが気になります。
小倉先生はこう書かれています。

私は、各分野の専門家によるレベルの高いエントリーがブログにアップロードされ、そこでその分野に興味を持った素人との交流や同じ分野を専門とする人々との高度な議論がなされるのをむしろ読みたい反面、匿名でなければ言いたいことが言えない人々が匿名であるが故に傍若無人にブログ主を中傷しブログ主を困惑させる様子は特に見たくはありません。

「多少のコストを覚悟」させたら優秀な書き手は逃げてしまう: la_causette

ネットの現状を「匿名でなければ言いたいことが言えない人々が匿名であるが故に傍若無人にブログ主を中傷しブログ主を困惑させる」と認識されているわけです。
にもかかわらず、あえてブログの実名化を進めれば「中傷される実名ブロガーが増える」だけではないのでしょうか。


ネットを実名化するには

  1. 実名化の法制度化
  2. 法によらない、モラルとしての実名化

の2つしかないように思えます。
2によって実名化を進めると、おそらくというか当然、上記の「匿名でなければ言いたいことが言えない人々」は一番最後に実名化(もしくは追放)されるわけで、それまで実名のひとたちは「傍若無人にブログ主を中傷しブログ主を困惑させる」現状に甘んじつづけなければならないのです。それでも実名化を受け入れろというのでしょうか。
ここで小倉先生は

実際に実名でブログを開設している人々がそのような危険に日々さらされているのかというと、そんなことはありません。

もう少し勇気を持って!: la_causette

のように「リアルの被害は少ない」と主張するわけですが、ネットのほうの「傍若無人にブログ主を中傷」する状況は変わらないので、すくなくとも段階的な実名化には現実味がありません。それとも「しばらくはだれかに誹謗中傷されることがあるかもしれないけど、勇気と忍耐力でネットに(実名で)参加してほしい」とでも言うのでしょうか? 小倉先生の言われる「誹謗中傷をおそれてネットに参入できない層」にそれを求めるのですか?
しかし法によらない限り「いっせいに実名化」というのは難しい。なので2はとりあえず破棄します。


とはいえ、1(以下、実名法)を導入するには

  1. コスト
  2. 日本だけ導入しても無意味

という大きな問題があります。コストはだれが負担するのでしょうか。これには閉鎖的な実名のシステム、SNSなどを新たに作るぐらいしか解決方法がないでしょう。
またこういった法は海外の掲示板やブログなどには無効なので、匿名の誹謗中傷を妨げる助けにはなりません。日本にあるブログのコメント欄に匿名で書きこむのを規制することはできても、誹謗中傷エントリからのトラックバックやリンクを規制することはできません。海外で日本語が使える掲示板・ブログを探すのはたいして難しくないですし。
それ以外にも「誹謗中傷はしないけれど有益なユーザーたち」が「実名ならやめる」と言って、いなくなってしまうという弊害も予想されます。
つまり実名法も現実味がないように思えます。

話は2に戻って、これからの議論について

小倉先生の論を読んでいて思うのは、「ネットには実名を名乗ることでリアルへのメリット還元なんてほとんど期待してないし、むしろリアルに影響するのイヤ」っていう層についての言及がすっぽり抜けていることです。
わたし(オレ)が考えるネットの現状はこんな感じです。

(図では小倉先生の矢印が「匿名の各分野の専門家によるレベルの高いエントリー(図の左上)」を指していませんが、こちらも含めるというふうに脳内補正してください)
ところが小倉先生の話を読んでいると、こんな感じなのです。

わたしからすれば「匿名の有益でも無益でもないエントリー」が一番おもしろいのですが(なぜならそういったものはネットでしか読めないから)、そこについての言及がありません。そのあたりが一番「一般的なネットユーザー」であり、数も多いと思えるのですが、そこをすっぽり落として議論を進めていてもみんなピンとこないんじゃないでしょうか。
実際に「みんな実名でやろうよ」と呼びかけるのなら、このあたりのひとたちに「おーそうか」と思わせる話を考えるのが大事であって、いまだにネット参入していないひとに「実名でブログを!」と呼びかけることではないのではないかと思われます。

議論をする上で、むやみにネットとリアルを対比するのは無意味

ネットはその歴史もコミュニティの成立過程も、さらにはいささかのブルータルささえ許容する言語感覚もリアルとは異なるので、リアルの事例と比較するのはあまり賢いやり方には思えません。
それを一概に

私たちは、小さな子供がいる場合にそのことをひた隠しにする文化を有しておらず、それてでいて誘拐事件の発生件数は非常に少ないのです。

もう少し勇気を持って!: la_causette

などと言われて比較されても、ただの妄想にしか見えません。私たちは、小さな子供がいる場合にその個人情報を世界に向けて大っぴらに公開する文化など有していないのです。わたしたちが有している文化というのは「小さな子供のためにできるだけリスクを減らそう」という文化であり、「今まで誘拐が少なかったからこれからも大丈夫だろうし、少しぐらい個人情報を公開しても大丈夫」という文化ではなく「今まで誘拐が少なかったからこれからも個人情報はむやみに公開しないようにしよう」という文化です。
以上の「小さな子供」「誘拐」をみなさんで適当な言葉に置き換えて読んでみてください。ネットと現実との安易な対比は議論の冗長化を招くだけでしょう。


リアルの社会でも活動領域が拡がればリスクは拡大します。リアルの社会にネットの社会が加わるのも同様で、活動領域が拡がる→リスクが拡大するということなのです。リアルではどうこうだからネットでは、という重ね合わせは無意味です。「リアルでリスクがあるんだからネットではなおさら」というのがふつうの感覚でしょう。


さらに言えば、たとえ話をもってくると議論がぼやけて質の低下をまねきます。
過去にあった「議論に出てくる比喩は武器だよね」というotsuneさんの指摘。

比喩ってのは罠を張るのにも最適なんだよね。「原発は○○だが原爆は××じゃないか」みたいな脊髄反論が来たら「それは比喩のほうの話でしょ。元の話題とは関係ありませんよ」と矛先をかわせるし。議論を誘導しつつ防御の隙を作らないという高度なテクニックでもある。

void GraphicWizardsLair( void ); // 「比喩を使用している文章は無条件に疑え」という比喩=兵器説


まとめ

  • 小倉先生にはもうすこし「ネットの一般的なひとたち」に語りかけるような話をしてほしい
  • これからもし議論がつづくような場合も、議論に参加するひとはあまりネットとリアルの対比、そしてたとえ話などで語らないようにお願いしたい

らへんでしょうか。

関連

すこし前にまとめたもの
http://moustacheetgrandssein.g.hatena.ne.jp/wetfootdog/20070717/p3


[シナトラ千代子は匿名実名論争を応援しています]